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ゲームが自由を得ることの功罪
2008/12/16
一般的に、テレビゲームというものは年々進化しているといわれています。
それは、見た目がよりリアルになったり、たくさんのキャラクターが登場できるようになったりと、単純にゲームがより豪華な作りになっていることからそのように感じることができます。
それらは言葉を変えれば「ゲームは自由を得た」のであり、現代のゲームの表現力はまさに無限大とも言われています。
しかし、それに比例してゲームの面白さも年々進化して行き、今のゲームは面白いものばかりかと言われると、そうではないと感じる人も多いことでしょう。
ゲームが自由を得たことで、何が良くなり、そして何が悪くなってしまったのか、そのいわゆる功罪について書いてみようと思います。
まず功の部分ですが、まずはゲームの表現力の幅が広がったということが挙げられるでしょう。
表現がリアルになることで、感情移入しやすくなり、その表情などからゲーム内のキャラクターが何を考えているのか、というところまで表現できるようになりました。
映像面だけでなく、音楽の面でもオーケストラの音楽を流したりすることができるようになり、ユーザーに伝えたいものをダイレクトに伝えることができるようになりました。
ゲームが自由を得たことにより、そして表現力が無限に広がったことにより、作り手は、自分が表現したいものをそのまま、ユーザーに届けることが可能になったのです。
しかし何でもできるがゆえに、作品としてなかなかまとまらなかったり、結局ゲームとして面白いものにはならなかったという場合もあります。
ゲームが自由を得たことで、作り手は逆に窮屈になってしまう場合もあるのです。
その原因の一つとして「時間が足りない」というのがあると思います。
ゲームが自由を得たことで、全く同じシーンを作ろうとしても、昔よりは時間をかけて作らなければならなくなりました。
そういう表現に時間がかかることによって、ゲームを面白くすることに時間が割けなくなり、結局上記のような問題が発生するのです。
主観で構いませんが、ゲームをプレイしていて、「後半がつまらない」または「前半にでてきたもののコピーと思われるものが増えてきたな」と感じたら、まず間違いなくゲーム制作の時間が足りなかったのだと言えるでしょう。
このように、ゲームが自由を得たことによる罪の部分も少なからず存在するのです。
それでは、ゲームが自由を得ていない時代はどうだったのでしょうか。
ファミコンの時代はゲーム機の性能上、ゲームを表現するにはまだまだ物足りない部分が数多くあり、たとえば『ドンキーコング』ではアーケード版の2面(ステージ2)が丸々カットされていたり、『ゼビウス』では「浮遊要塞」が浮いていなかったり、『ドラゴンクエスト』ではキャラクターは正面しか向くことができないなど、ゲームが自由を得るとはかけ離れている状態でした。
現代であれば、アーケード版の移植となればさらに追加要素が入るのが当たり前だったり、キャラクターは横方向どころか360度自由に動き回ることもできます。
しかしこのころのゲームでも多くの人が面白いと思うものはたくさんありました。
自由がないはずのゲームが、どのように面白さを手に入れたのでしょうか。
それは作り手による工夫の結果に他ならないでしょう。
『スーパーマリオブラザーズ』では、空に浮いている雲と、地面に生えている黄緑色の草は、よく見ると同じ形をしています。
亀のキャラクターであるノコノコに羽が生えるとパタパタとなり、羽をつけるだけで全く違うキャラクターを生み出しています。
つまり、このようにして無駄に容量を増やさないようにしているわけです。
『ドラゴンクエスト』ではキャラクターの向きの他にも、使えるカタカナの数を20文字までに制限していながらも「ベギラマ」「ラリホー」などといった今でも使われている呪文を表現していたり、敵キャラクターも同じに見えても色が違うだけでなく、向きも左右逆になっていたり、強い敵キャラクターは武器を持っているなど、工夫があちこちに見られました。
それでいて、ゲームの面白さには極限までこだわりを見せていました。
『スーパーマリオブラザーズ』でのハンマーブロスやクッパとの戦いは今でも苦戦する人が多いでしょうし、『ドラゴンクエスト』ではあれだけ容量を削りながらも、助け出した姫と一緒に宿屋に泊まると宿屋の主人に「ゆうべは おたのしみでしたね。」と言われたり、シリーズの恒例となっている「ぱふぱふ」をしてくれるキャラクターも、シリーズ1作目から登場していたりと、そのこだわりはとどまることを知らないものばかりです。
要は、こうしたゲームが生まれた背景には、「多くの取捨選択」から無駄な部分が(ときには必要だと思われるものでも)そぎ落とされ、ゲームとしての完成度を上げていったのだと思います。
ゲームが自由を得ることでその取捨選択は不要になったものの、それはそれで、あらたな弊害を生み出していると考えると、なんとも皮肉なような気もします。
最近のゲームは、発売される前にホームページやゲーム雑誌等で紹介される際にまず「見た目」が先行するので、作り手としてはどうしてもそちらに心血を注ぎがちです。
そのため、ネット上では「出るまでが神ゲー(名作)」などと呼ばれてしまうこともあります。
このことは、ゲームが自由を得たにもかかわらず、今度は作り手が自由を失っていると考えられるわけで、今現在、ゲーム業界が直面する一つの大きな問題の一つだと思います。
時間はかかるでしょうが、ぜひこの問題が解決され、作り手がより面白いゲームをたくさん生み出せるようになってほしいと願っています。
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